最近週末にまとまった時間を取る事が出来ず、
納得のいく予想をする事が出来ないのですが、
その分、予想という範疇にこだわらずに、
競馬というものを考える機会が増えた気がします。
最近よく考えているのが、競馬をする自分についてです。
競馬を覚えた頃の私は、強い馬、速い馬、個性のある馬に注目し、
ただひたすらに自己投影する事で満足感を得ていたに過ぎない、
と言っても過言ではありません。
自己実現できない現状に目を背けていた、という書き方は
昔の自分に対して少々手厳しいですが、決して間違ってはいません。
しかし歳をとるにつれて、そういった事に飽きを感じ始めると同時に、
改めて「自分」という存在に目を向け始めました。
いくら強い馬であっても、勝つときがあれば負けるときもあります。
当然の事ながら、引退すればターフから姿を消してしまいます。
そんな馬達に、いくら心からの声援を送ったところで、
10年20年先の自分には何も残す事が出来ないのではないかと、
恐怖したという事です。
馬、騎手、調教師といった自分以外の存在よりも、まず「自分」を磨こう。
そう思って初めて、予想に対して真剣になる事が出来た気がします。
レースに勝つ馬のファンとなるよりも、
予想を当てる自分の、唯一のファンになりたい。
私は人一倍に自己顕示欲が強く、自己中心的な人間なので、
なおさらこういった事を考えてしまうのかもしれませんね。
ひと昔前のキャッチコピーですが、私はこのフレーズを気に入っています。
「私を楽しむ、それが競馬。」
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