「逃げ馬ってのは、一体何から逃げているのだろうね」
今日も閑古鳥のバー「湖畔」で、マスターがポツリとつぶやいた。
「逃げる」−その言葉の響きの中に、背徳感を覚えるのは私だけだろうか。
悪事をはたらいて、追いかけてくる者から逃げる。
自分を捕まえようとする者から逃げる。
逃げるという言葉は、どこか犯罪の香りを漂わせ、
それでいて一種の寂寥感をも感じさせる不思議な言葉だと思う。
競馬の世界に「逃げる」という言葉を持ち込んだ人は、
きっととても感受性の豊かな方だったのだろう。
ただ、逃げから生じる寂寥感は、
どの逃げ馬からも感じられるものではない。
逃げるべくして逃げる、生粋の逃げ馬からしか発せられない高貴なものだ。
「最近ではタップダンスシチーくらいかねぇ」と私は言ったが、
マスター口元に笑みを浮かべるだけで、黙っていた。
「一体何から逃げているのか」という疑問に答えを用意できないでいると、
マスターはワイングラスを磨く手を止め、静かに語り始めた。
「私の場合は時間・・・かな。
今まで生きてきた道のりを振り返ると、
いつも時間に追いかけられてた気がしますよ。」
闇は男を素直に語らせる。
「逃げ馬を見てると人は感傷的になりますが、
その感傷はもちろん人それぞれ違うものでしょう。
それはきっと、人は皆、人によってそれぞれ違う、
何者かに追いかけられて生きているからではないでしょうか。」
カウンターの壁には、1枚の写真が額縁に入れられ、大切そうに飾られている。
写真の馬はたった1頭で、府中の大欅へと疾走している。
その栗毛は今もなお、眩しい。
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